【 今月のことば 2019年4月 】
支えに出遇ったあなたは
これからどのように生きていくのですか
稲垣直来氏
「念仏は 行者(ぎょうじゃ)のために 非行(ひぎょう)非善(ひぜん)なり ―歎異抄(たんにしょう)―」
非行非善という言葉を、努力も善行も必要なしと理解してしまうと、それを重んじてきた者にとっては、何を大切にすればいいのか迷ってしまうでしょう。しかし、「念仏の救いに出遇った者(行者)にとっては」と親鸞聖人はおさえて教えられています。
先般、大病を患いながらも元気一杯の方と出遇いました。身の事実を引き受けることが出来たのは、「助けて」と言えたからだそうです。発病当初は、出来ていたことが出来なくなったので、どう生きていけばいいのかわからなくなったそうです。しかし、弱い自分を認めたくなかったので、「助けて」とだけは言いたくなかったそうです。その事が一層悩みを深くしました。
しかし、言わずには生きていけない中で出遇えたものは、たくさんの支えでした。今までも支えられて在ったのですが、自負心一杯の心で全く大切な事が見えていなかった事に出遇われました。むしろ「支えに出遇ったあなたはこれからどのように生きていくのですか」と道になったと述懐されました。
「念仏」(南無阿弥陀仏)とは、朋(とも)なる世界に出遇った者の讃嘆(さんだん)と懺悔(さんげ)の叫び声です。それは私を救い護ろうとするはたらきに出遇って、自分自身に背いて生きてきた自分に出遇えたという感動語です。言い換えれば、念仏のはたらきに出遇ってみれば、人間の心で作り上げた行や善は必要ではなかった(非行非善)という感動の一文が、「念仏は行者のために非行非善なり」という言葉にまでなったのではないでしょうか
東大阪市 徳因寺住職 稲垣直来氏