【今月のことば 2025年5月】 東淀川区豊里 真宗大谷派 教応寺 花の香りは、 その花のそばを立ち去って しばらくしてから気がつくことが多い。 川本三郎氏
以前の手帳のすき間から、このことばが書かれたメモが落ちてきました。
ふと出遇ったこのことばを書き留めるきっかけになった出来事を、手帳を見返して思い出しました。
それは、学生時代にお世話になった先輩のお母さんとのお別れでした。
当時ひとり暮らしをしていた私の食生活を見かねてか、そのお母さんは、私の分までお弁当を作ってくれました。何か月もの間、ほぼ毎日。お弁当箱を洗ってお礼を言うことくらいしかできない私に「一人分も二人分もいっしょいっしょ、気にせんとき」と、いつも元気よく声をかけてくれました。結婚しました、子どもを授かりましたと、折々でごあいさつに伺っていたのですが、だんだんと目の前の忙しさに甘えてご無沙汰が続いていました。
先輩から連絡をいただいて、お通夜とお葬儀にお参りさせていただきました。先輩は、私の顔を見るなり涙ぐんで喜んでくれて「母親の顔見たってくれ。お前が来てくれて喜んでるわ。」と、お棺のお母さんに私が来たことを伝えてくださいました。
不思議なことにこの瞬間、私の心は学生の頃に舞い戻っていました。そしてこのご家族の優しさに包んでもらっていた時間やいろいろな思い出があふれてきました。そして、今、合わせているこの手もこの身体も、あのお弁当とつながっているのだと改めてうれしくなりました。
月日が経ち、私はまた目の前の日常に埋もれて、お世話になった人たちを忘れて生活しています。そんな私に、先輩のお母さんが手帳から飛び出して、大事なことを教えに会いに来てくれたような気がしました。
教応寺住職 釋智宏
