【真宗大谷派 教應寺 今月のことば 2020年7月】
仏教によって、自分自身と
周りにあるすべての存在を公平に確かめながら生きていくことを
生涯をかけてあきらかにした人が親鸞という人です。
大谷大学教授 三木 彰円 師
実際この数か月、私たちはこれまでになかった状況を目の前にしています。
これまで私たちにとって当たり前であったこと常識であったこと、
それが当たり前ではなくなったり常識として通用しなくなっているということが、
私たちに今、目の前に突き付けられています。
そんな中で、私たちが不安を持ったり、その不安が原因となって自分を大切に思うことが出来なくなる、
このようなこともありますし、また不安を持つゆえに周りにいる他の存在を敵視したり攻撃してしまう、
そのようなことで自分自身に寄り添うこと、また他の人々に寄り添っていこうとする
その心を見失ってしまうということもおこってきます。
そこで、もう一度私たちが改めて確かめなければならないことがあるのではないでしょうか。
私の思いや自分の思い込みをよりどころにしていくことは、
実は非常に不確かな事、あるいは危ういことであり、
非常にあいまいなものを持っているということです。(中略)
私たちに必要なこと、決して見失ってはならないこと、
それは自分に対する思いやり、そしてすべての人に対する思いやりです。
また自分に寄り添い、すべての人に寄り添う心を持って生きていくその意志を持つこと、
そして、そのよりどころを確かめながら生きていくこと、このことがとても大事なことではないでしょうか。
そのことがつまり「人」として生きるということにある大事な意味である、このように親鸞は私たちに教えています。
親鸞という人が生きた時代は、
災害や戦乱、飢饉や疫病、政治の混乱など社会全体が大きな不安の中にありました。
その中で「人」として生きることを絶えず求め続けていったのが親鸞という人です。
親鸞は、自分がどんな状況に身を置いても「自分だけが」という思いをよりどころにするのではなく、
「すべての人が、「人」として生きるよりどころ」それが一体何であるのか、ということを求め続けていった人です。
そして親鸞は、その確かなよりどころとなる、そのことを「真(まこと)」とあらわしました。
親鸞がいう「真(まこと)=真実」とは、釈尊の教えです。
釈尊が説いた仏教、そこに真実のよりどころを見出し、
それによって自分自身と、そして周りにあるすべての存在を公平に確かめながら生きていく、
そのようなことを生涯をかけてあきらかにした人が親鸞という人です。
大谷大学教授 三木彰円 師