はじまり〜1200年前〜
教応寺のある東淀川区豊里地域は、かつて聖徳太子が度々足を運ばれ、四天王寺建立の候補地と考えられていた地であります。その地に、唐から帰られた伝教大師最澄が立ち寄られ「法上寺」(805年頃草創)を建てられます。それが教応寺のはじまりと伝えられています。その後、永正14(1517)年真宗に改宗し、天和3(1683)年、寺号を「敎應寺」と改めております。
きびしい道のり〜2度の火災〜
明治33(1900)年 淀川改修のため現在地に移転。
昭和3(1928)年火災。昭和6(1931)年に再建するも、
昭和20(1945)年空襲によって全焼してしまいます。
昭和31(1956)年、焼け野原となったこの地に、自分たちの精神生活を支える聞法道場をもう一度という志のもと、ご門徒自身も資材を運び本堂が再建されました。昭和57年には本堂改築し、山門を建立しました。
再建事業発願〜再出発〜
しかし、阪神淡路大震災で本堂の梁が折れたことによって老朽化に拍車がかかります。このままではあと何年保つかわからない。これからの不透明な時代に向け、私たちの時代で出来ることを精一杯しようと平成20年再建事業が発願されました。
ご門徒の、教応寺への想いとご苦労は大きな力となり、さらには様々な方のお力も賜り、平成22年8月竣工を迎えました。
落慶法要円成〜人間関係の再建〜
建物の次は、そこに集う自分たちの人間関係の再建が目標となりました。
全員が何らかの形で参加できる手作りの落慶法要を目指しました。
幾度となく集まる中で、自分たちが今まで作ってきた関係を見直す機会をいただきました。
平成22年12月5日、届けられた願いと届けたい願いが共鳴する中、感動の涙を流しあい、落慶法要の円成をお迎えいたしました。