お寺からのお知らせ 住職つれづれ

【今月のことば 2025年2月】

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【今月のことば 2025年2月】 東淀川区豊里 真宗大谷派 教応寺  私たちは、裸のままで尊い
【今月のことば 2025年2月】 東淀川区豊里 真宗大谷派 教応寺  

ご法事などで、いろいろなお家にお参りに行かせていただきます。当然ですが、それぞれのお家によって年代も違えば人数も違うので、その場の雰囲気は本当に様々です。

その中で、たまに赤ちゃんがいてくれる時があります。そんな時は、どんなお家でも一様に、やわらかで穏やかな雰囲気に包まれています。

 それと同時に、その場にいる大人たちは、その赤ちゃんのまっさらで透き通ったまなざしから、自分がその清らかさからどれだけ離れてしまったのかを教えられるのです。「わたしにもこんな時があったはずなのに…」と。

 何も持つことなく裸で生まれてきたにもかかわらず、時が経つにつれて、いろいろなものをひっつけて生きることに価値があるのだと思い込んでしまい、その自分で作った価値観で、他人と比べ、うぬぼれたり、また卑下したりして苦しんでいるのです。

 人生は裸で始まり裸で終わります。その尊さを仏陀は教えてくれているのでしょう。

【今月のことば 2025年2月】 東淀川区豊里 真宗大谷派 教応寺  私たちは、裸のままで尊い仏陀は誕生の時「天上天下唯我独尊」と称えられました。唯我独尊ということばも、今日では、最上と同じように、おれが一番偉いのだという意味で使われますけれども、そうではない。これは「ただわれ独りにして尊し」ということなのです。このように仏陀とは、天上天下唯我独尊という在り方を明らかにした人、成就した人なのです。 この独りにしてというのは、ことばを換えますと、何のお飾りも、何の支えもなしに尊い、あるがままに尊いということ。地位だとか財産だとか、肩書きとか、なにかそういうものによって尊いのではない。あるいはまた、お札とか、祈祷だとか、神や仏や、いろいろなものを持ってきて自分のつっかえ棒にする。そうしてやっと自分を立てているような、そういうものではない。裸のままで尊いといえるのが仏陀なのです。 その裸のまま、何の飾りもなしに、あるがままの尊さを見出したのが仏陀です。すべての存在のあるがままのうえに尊さを見出していく、それが仏陀なのでしょう。それが唯我独尊、ただわれ独りにして尊しということなのです。 宮城顗氏
【今月のことば 2025年2月】 東淀川区豊里 真宗大谷派 教応寺

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おはよう おあさじの会