阿弥陀とは、阿は「否定」を意味し、弥陀は「はかる」という意味です。
はかることを否定する=「はかり知れない」という意味のことばです。
はかり知れない仏さまである阿弥陀仏が、どこかにおられるのではなくて、「今、私がここにいることを成り立たせるはかり知れないはたらき」のことを、阿弥陀仏といいます。
はかり知れないはたらきがあって、私がいるのではなくて、はかり知れないはたらきによって全世界、全宇宙、そしてこの私も作られ成り立っているのです。
ここでは、そのはかり知れないはたらきのことは「不可思議な絶対他力のはたらき」といわれています。
鈴木大拙先生は、
西洋の人は、海辺で貝殻を拾って耳に当ててみると、天地創造以来の波音が聞こえるという。私たちの身近で言えば、いろいろな植物から新芽が出ているのを見ると天地創造以来の植物の生命を感ずる、そう見てみると、そこにある石にも、あそこにいる動物にも天地創造以来のもしくはそれ以上の歴史を感ずるとおっしゃっています。
それは、私たち自身も例外でなく、私がここにいるということ、そこには天地創造以来の生命の歴史が感じられるはずなのであります。
しかし、私たちは、そのことに慣れきってしまって、今この全世界が、全宇宙が成り立っていること、また自分がここに存在していることを、尊いと思うこともなければ、敬うこともない。もったいない生き方をしているのです。
6月です。雨が降ることも、台風が来ることも、インドボダイジュやウンベラータが新しい目を伸ばすのも、アジサイがいろいろな色で咲くのも、すべてこれ不可思議な絶対他力のはたらきによるものであります。
それを私たちは、どう受け取っているのか、そういうことを考える6月にしたいと思います。