【今月の言葉 2022年6月】
先月は無事、永代経法要をお勤めすることができ、ホッとしています。
おそうじやおみがき、当日の幕張りなどの準備や受付、最後の後片付けまで様々な方にお力をいただきました。誠にありがとうございました。
二日間、気持ちのいい風が吹き抜ける中、聞法の時間をいただきました。
「目の前の出来事に腹を立て文句を言って、すべてのことを善いか悪いか、好きか嫌いかとさばいていく。」
「そういう自分中心の眼の世界で、そこから一歩も出ることなく毎日を過ごしている、それが煩悩というものであり、私たちの日常でないか。」
耳ざわりの善い言葉で気持ちよくなるようなお話はまったくなく、どこまでも私の偽らざるお粗末な生き方を言い当ててくださるご法話でした。
そんなことから今月は、私の思いと釈尊のご生涯を教えてくれるお言葉にしました。
死ななくなることで幸せになるのではない。死があるからこそ生きることの尊さが知らされ、今のいのちが輝きを持つ。それは釈尊だけでなく、私たちにも与えられているのである。
とあり、最後には、
釈尊が私たちに最後に説いた「自灯明・法灯明」の教えは、私自身が自分を本当に大事にし、同時に「法」にたずねていく人生を送るべきことを教えているのである。
とあります。
「生きることの尊さ」や「今のいのちの輝き」を見失い、毎日を淡々と過ごしているのが私の実際でないか。
「法にたずねていく」ということがなければ、自分では絶対に確かめられない。
「自分を本当に大事に」生きる眼は自分の中にはない。
そんなことを感じながら、6月も大切に歩んでいきたいです。
【今月のことば 2022年6月】