【今月のことば 2020年12月】
迷いの深さは
同時にいのちの深さであります。
佐野明弘氏
なんともなくうまくいっている時には感じませんが、どうにもならぬ悲しい出来事に出会ったり、とりかえしのつかないことをしてしまった時など受けとめ難い苦しみを感じて私たちは「なぜ」を繰り返すばかりです。
苦悩を抱え、空しさと孤独を抱えたこの人間の身をどう受け取っていったらいいのか、悲しみに満ちた人の世をどう受け取っていったらいいのか、人の身を生きるとはどういうことなのか、こんな悲しい思いをしなくてはならない人間というものに生まれたということはどういうことなのか。これは人間の身を受けたものすべてが抱える問題であります。
そしてその悲しみを抱えながらなお生きんとし、あるいは悲しみに耐えきれず自ら命を絶ち、あるいは今なお立ち直れずに苦しむもの、そこに人間の人生の難しさ、人間であることの悲しみを感じます。「人身受け難し」であります。
人間以外のあらゆる生きものは、そのいのちの願い通りに迷いなく生きているように見えます。たけのこは迷いなく竹になろうとしています。猫は猫であることに迷ったことがありません。すべての生きとし生けるものがそのいのちの願いどおりに迷いなく生き死んでいく中に、人間だけが人生に迷い人生につまずき、この身、この世をどう受け取っていったらいいのかがわからないのです。
それはつまり、人間だけが自らのいのちの願いを見失ってしまったということでありましょう。自らの願いを見失った存在、それが人間なのであります。それでもなお、人は迷い続け苦悩し続け求め続けて止みません。それは薄っぺらい信心や個人的満足では抑えきれない深いいのちの要求があるからです。我々の方からは見失っているいのちの願い、しかしその願いの方は我々を見失ったことがないのです。そこに人間に生まれた悲しみと同時に人間といういのちの厳粛さと深さが感じられてまいります。迷いの深さは同時にいのちの深さであります。そのようなことがこの「人身受け難し」というお言葉から感じられてくるのであります。
佐野明弘氏