【今月のことば 2020年2月】
【今月のことば 2020年2月】
善いところも悪いところも全部自分自身
全部仏様にいただいたもの
延塚知道氏
たまたま大谷大学で、親鸞聖人の教えを身体全体で生きておられるような先生に遇うことができました。大谷大学という大学には、仏教を学んでおられる先生には、すごい先生がいらっしゃるのです。先生方が、ただの学者というだけではないのです。仏教を身体で生きているような先生にお遇いして、同じ人間でもこんな方がいらっしゃるのだと思いました。そりゃ立派でした。先生のお姿を通して、仏教の大切さを感じさせられたのです。(中略)
先生の生き方にふれた時に、強烈に自分の都合ばかりを押し立てて生きてきた自分の生き方が、すべて否定されたと思いました。都合が善いことが起こると喜んでいるけれど、都合が悪い事が起こると、とことん嫌だという生き方をしてきた。そういう生き方について、私はそれまで少しもおかしいと思ったことがなかった。
だけど、先生は都合が善いとか、都合が悪いとか、自分の都合なんか全然いわないで事実をそのまま生きているのです。だから、どんなことが起こっても愚痴をいわないし、どんなことが起こっても「ナマンダブ、ナマンダブ」と念仏を称えて、全部自分の世界として生きておられました。善いところも悪いところも、すべて自分自身なんだとして生きておられました。
それを見て私は、ものすごいショックでした、私は、自分で自分の善いところと悪いところとを分けて、善いところは伸ばして、悪いところは捨てようというそんな生き方をしてきました。それは普通の人間の生き方なのですが、それが、私のいのちに対してどれだけひどいことをしてきたか。頭で善し悪しを立てて考えることが、どれほど当てにならないかということを思い知らされました。
そうじゃなくて、善いところも悪いところも全部自分自身じゃないか、全部仏様にいただいたものじゃないか。だから、善いところも悪いところも丸ごと全部自分自身なんだというふうに、本当に丸ごと愛せる者にならなかったら、どうして周りの人を愛せますか?一度も自分を自分だといったことがない、自分で本当に自分を大事にしたことがない人間が、どうして他人を大事にできますか?そんなことを、先生に教えられたのです。
『共に在ること ―バラバラでいっしょ―』延塚知道氏