【今月のことば 2025年6月】 東淀川区豊里 真宗大谷派 教応寺 自分が自分になった背景を知る それが恩を知るということである 安田理深氏
以前、お参りの時に「誕生日は祝ってもらうだけじゃなくて、両親に、産んでくれてありがとう、育ててくれてありがとうと伝える日にしています」と教えてくれた方がいました。
「それって素敵やん」と思って、それ以来、私も自分の誕生日に、離れて暮らす両親にLINEでお礼のメッセージを送っています。ちょっと照れくさいけど、普段言わないような言葉も「まあこの日だけは」と自分に言い聞かせて、思い切って送信します。
今年も送りました。しばらくして母親から返信がありました。
最初に「よく今日まで無事に生きてきてくれました。」と書かれていました。
私もひとりの親として、子どものことは何かにつけて心配になります。毎朝出ていく時には無事を願って送り出し、たとえ機嫌が悪かろうが不愛想であろうが、何事もなく帰ってきたときは、やはりホッとします。連絡がなく帰りが遅い時には、帰ってくるまでそわそわと落ち着きません。
しかし、そう言っている私も、50才を越えた今もなお、年老いた母に心配をかけ続けていたのでした。
当然ながら、私は自分が生まれた日のことを知りません。初めて寝返りができた日のことも、初めて一歩歩いた日のことも知りません。しかし、私自身が知らない私の人生を、すべて知っている人がいるのです。その人は、私が生まれて以来、今の今まで、ずっと心配し続けているのだそうです。
また、お参り先のある方が「子どものことは何才になっても心配なものですよ。でも、そうやって誰かのことを思ったり心配したりしているのって、ふり返ってみると幸せな時間なのかも知れませんね。」とおっしゃいました。
「ちょっと!これまた、素敵やん!」
住職 建部智宏
(ちなみに…親父!既読にもなってないよ。)
